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8月25日の日記
2006年8月25日某所にて泥沼化しそうな戦争が繰り広げられていますが、あまり情報が
流れていないのはなにか不自然な感じをうけます。少なくともガソリン
の値段がどうこうという話は日常的に出てくるにも関わらずにね。
ゲームでの戦争とリアルな戦争において決定的に違うのはやはり
政治的な思想や宗教的な思想というものがゲームでは再現できない
点につきるわけで、損得勘定だけで進んでいくのが本来のゲーム
というものだと思うんです。
損得勘定を忠実に戦争ゲームにしたのが、一戦ごとに勝敗がつきそこで
完結してしまうゲームであり、これは単純に強さだけを競うゲームと
して戦争を扱っていて、別に戦争じゃなくてもテニスでもバレーでも
テトリスでもいいわけ。いわゆるマルチプレイゲーム。
それとは別に延々と戦争が続くゲームというものがあって、この手の
ゲームにおいては明確に勝ちと言うものが存在しないわけで、これは
オンラインゲームの特徴であり売りであり欠点かもしれません。
オンラインゲームでは中の人同士が自由に話せるために、中の人同士
のイザコザというものが少なからず発生してしまいます。
このイザコザというのが結構な曲者で、単にもうずっと敵同士で
やっていくというのならば何の問題もないのですけれども、大抵の
場合はゲーム内での世界の狭さから、どちらかの居場所が無くなって
しまい結果として辞めていくというのがよくあるパターン。
問題を起こす起こさないというのは特殊な人とか思ってる人が多い
みたいなんですけど、現実にはそうではなく見えないところでは
結構な人が結構汚いやり方で裏工作や愉快犯的に暗躍していたり
するわけです。こういう人たちも潜在的に問題を起こす人という
括りで見ているんですけれども。
で、まぁだいたい馬鹿を見るのが何でも表立って感情を出す人なわけ。
この馬鹿を見る人というのは大体決まっています。
そして負ける側。つまり居場所が無くなって辞めていく側というのも
客観的にみていればやる前からわかってしまう訳ですが。
大抵勝つ側というのは、お互いがぶつかる時に先に言い出した側であり
なぜ勝つのかというと実は勝てるための工作がすでに済んでいるか、
もしくは何もしなくてもその時点で勝てる立場にいるからであり、
負ける側というのは、このような状況になることを薄々感じていながら
いざ言い争ったときの備えができていません。逆転の目は奇跡的に
発言力のある人が何かの気まぐれか何かで、あきらかにこちら側に
フォローに入ったりしないかぎりは。
なんかどろどろとしたあまりいい話では無いのですが。
んと、何でしょうね
意見や感情を表に出す人というのは、ゲーム全体の中で一定数は
いないと、そのゲームがプレイヤーによって廃れていくと思って
いるんです。今までにもそれなりに楽しめた時期のあったゲーム
というのは結構あったんですが、大抵がこの手の問題を繰り返し
ていくうちに、この手の尖がってる人が減っていき、結局はぬるい
人ばかりが残ったつまらないゲームとして終焉を迎える事になる
わけです。
これはゲームそのものの出来の良さとは関係ないのでなかなか厄介
な問題です。新規が増えてもゲーム内での熱いものが無いと感じて
しまえばやはり定着することは無いので。この辺は戦争ゲームの
宿命かもしれませんね。オンラインゲームでの
「まずはじめに戦争ありき」
というのは、やはり無理があり本来起こるべきである人々の思想の
相違からくるトラブルが戦争ゲームとしての基盤になりうる場合に
限って本来あるべきゲームを超えて、長く遊べるゲームになりうる
んではないのかなーと。
少なくとも本気で敵を憎んでいるような人とか、徹底して思想を
貫くようなひとが戦争ゲームの寿命を延ばしているんだと思います。
決して長くやっていて、あちこちに知り合いがいてスポーツ感覚で
ゲームをしているような人がゲームの寿命を延ばしているわけでは
ないし、そのような方々をあこがれるような一般の人達でもない
ということだけは間違いないです。
これが理解できてこの手のゲームをしている人がどれだけ居るのか
かなり疑問です。
流れていないのはなにか不自然な感じをうけます。少なくともガソリン
の値段がどうこうという話は日常的に出てくるにも関わらずにね。
ゲームでの戦争とリアルな戦争において決定的に違うのはやはり
政治的な思想や宗教的な思想というものがゲームでは再現できない
点につきるわけで、損得勘定だけで進んでいくのが本来のゲーム
というものだと思うんです。
損得勘定を忠実に戦争ゲームにしたのが、一戦ごとに勝敗がつきそこで
完結してしまうゲームであり、これは単純に強さだけを競うゲームと
して戦争を扱っていて、別に戦争じゃなくてもテニスでもバレーでも
テトリスでもいいわけ。いわゆるマルチプレイゲーム。
それとは別に延々と戦争が続くゲームというものがあって、この手の
ゲームにおいては明確に勝ちと言うものが存在しないわけで、これは
オンラインゲームの特徴であり売りであり欠点かもしれません。
オンラインゲームでは中の人同士が自由に話せるために、中の人同士
のイザコザというものが少なからず発生してしまいます。
このイザコザというのが結構な曲者で、単にもうずっと敵同士で
やっていくというのならば何の問題もないのですけれども、大抵の
場合はゲーム内での世界の狭さから、どちらかの居場所が無くなって
しまい結果として辞めていくというのがよくあるパターン。
問題を起こす起こさないというのは特殊な人とか思ってる人が多い
みたいなんですけど、現実にはそうではなく見えないところでは
結構な人が結構汚いやり方で裏工作や愉快犯的に暗躍していたり
するわけです。こういう人たちも潜在的に問題を起こす人という
括りで見ているんですけれども。
で、まぁだいたい馬鹿を見るのが何でも表立って感情を出す人なわけ。
この馬鹿を見る人というのは大体決まっています。
そして負ける側。つまり居場所が無くなって辞めていく側というのも
客観的にみていればやる前からわかってしまう訳ですが。
大抵勝つ側というのは、お互いがぶつかる時に先に言い出した側であり
なぜ勝つのかというと実は勝てるための工作がすでに済んでいるか、
もしくは何もしなくてもその時点で勝てる立場にいるからであり、
負ける側というのは、このような状況になることを薄々感じていながら
いざ言い争ったときの備えができていません。逆転の目は奇跡的に
発言力のある人が何かの気まぐれか何かで、あきらかにこちら側に
フォローに入ったりしないかぎりは。
なんかどろどろとしたあまりいい話では無いのですが。
んと、何でしょうね
意見や感情を表に出す人というのは、ゲーム全体の中で一定数は
いないと、そのゲームがプレイヤーによって廃れていくと思って
いるんです。今までにもそれなりに楽しめた時期のあったゲーム
というのは結構あったんですが、大抵がこの手の問題を繰り返し
ていくうちに、この手の尖がってる人が減っていき、結局はぬるい
人ばかりが残ったつまらないゲームとして終焉を迎える事になる
わけです。
これはゲームそのものの出来の良さとは関係ないのでなかなか厄介
な問題です。新規が増えてもゲーム内での熱いものが無いと感じて
しまえばやはり定着することは無いので。この辺は戦争ゲームの
宿命かもしれませんね。オンラインゲームでの
「まずはじめに戦争ありき」
というのは、やはり無理があり本来起こるべきである人々の思想の
相違からくるトラブルが戦争ゲームとしての基盤になりうる場合に
限って本来あるべきゲームを超えて、長く遊べるゲームになりうる
んではないのかなーと。
少なくとも本気で敵を憎んでいるような人とか、徹底して思想を
貫くようなひとが戦争ゲームの寿命を延ばしているんだと思います。
決して長くやっていて、あちこちに知り合いがいてスポーツ感覚で
ゲームをしているような人がゲームの寿命を延ばしているわけでは
ないし、そのような方々をあこがれるような一般の人達でもない
ということだけは間違いないです。
これが理解できてこの手のゲームをしている人がどれだけ居るのか
かなり疑問です。
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